きょうもなかよし。げんきで〜す

2012年も終わりですね。
気が付けば、氷川書房日記「ねこと古本とバイオリン」、2年以上が過ぎました。
はじめは
河野さんみたいに、一古本屋の生活と意見 って感じのブログにしつつ、
展覧会や新入荷情報なんかを盛り込んで、商売に役立てたい−と思って始めたのです。
でも、書いてるうちに、どんどんアホな猫ブログになってしまって・・・
結局、このほうがボクの性に合ってたみたいです。
古本屋でブログ立ち上げた人はいっぱいいるけど、曲がりなりにも何年も続いているのはウチと河野さんぐらいではないかしら?
ほとんどの人はツイッターに移行しちゃいましたね。
ことしは私個人にとっては忘れがたい年でした。
多くの同業者同様、商売の先行きに悩み、そして、私生活では独り身に戻り。
そんなこんなで気持ちが沈みがちで・・・
誰にも必要とされない人間が
誰にも読まれないブログなんか書き続けることに何の意味があるのか?
な〜んて、ダウナーな人にありがちな気持ちになって。
氷川書房日記:ねこと古本とバイオリン もう更新しないことにしようか、と迷っていた時期もあるのです。
でも、気付いたのです。
「文章を書くのは楽しいことなんだ」って文章を書くって行為は、自分と向き合うことです−
と言ったら月並みすぎるかしら?
頭の中にあることを、そのまま文字にしたら、意味不明になってしまいます。
ウチのブログみたいにくだらない内容でも、
文章を書くには、自問自答しながら、ちょうど彫刻を作るように、自分の考え・思いを形にしていかなければならない。
枝葉を切り、取捨選択をしていかなければならない。
木なんかを彫り削る彫像というよりは、粘土を付け足したりそぎ落とししたりする塑像づくりのイメージかな。
そうして、自分の思いを形にしていく。その過程で「自分が思っていたのはこういうことだったのか」と、あらためて気づいたり。
それが自分と向き合うって事だと思うのです。
そこが、瞬間に思ったことをポッとつぶやくツイッターと違うところじゃないでしょうか。
文章も数ある表現手段の一つですから、ある時は画像にキャプションをつけてみたり、下手なイラストを中心に据えてみたり。
いろいろやってみる。
ボクはそれが楽しいんです。
ブログなんか書いていると「文章書き慣れてる」と思われて、知人から挨拶文だの案内文だの、いわゆる実用文を頼まれることが結構あります。
それとて、発注者がどんな文章を望んでいるのか推測しながら、できるだけ発注者の思い描いてる事を文字で表せるよう頑張ってみる−
それって、結局は自分の「思い」を文字化する作業なのです。
こんなビッグネームを引き合いに出すのは僭越すぎるかもしれないけど、
清少納言だって、吉田兼好だって、鴨長明だって、人に見せるために文章を書いていたのではありません。
ま、当時はマスメディアもないから、人に見せたくとも見せられなかったけれど。
夏目漱石も、高浜虚子(だったかな?)に宛てた手紙で、「吾輩は猫である」は神経衰弱の治療のために書いてるんだ、というようなことを言っている。
きっと黙々と自分と対話していたんです。彼らも。
これでいい。
楽しいから書いている。
それで十分。
もしよろしかったら、来年も、たまにはのぞいてやって下さい。
では、よいお年を!
しんのすけ:ま、あまり考えこまずにコーヒーでも飲みなよ。おとーさん。